「よく頑張ったね」
より
「よくあきらめなかったね」

その言葉の方がしっくり来るな!

皮膚科の受け付け待ちをしていたときに見かけた女の子は5才くらいかな?

お母さんはまだ抱っこの子供にコートを着せたりバギーに乗せたりと下の子に掛かりきり。

お姉ちゃんは、構ってもらえないことに不満げでなく、今自分にできること、何をすればいいのかをわかっているのか自分でコートを着始めました。

片手を通し、後ろ手でコートを引き寄せもう片方の袖に手を通す。
でもなかなか腕が通らない。
子供でなくても大人でもアルアルですね。

やっと袖を通したら今度は前を留めます。
下の方は目で確認して簡単に留められましたが、首に近くなるにしたがって留まりにくいようで、何度やり直したでしょう。

見かねた受付のお姉さんが近くによって声をかけながら見守っています。

苦労してやっと上までちゃんと留めることができたとき、見守っていたお姉さんが拍手して一緒に喜んであげていました。

そのお姉さんも素晴らしいな。
女の子を信じ最後まで見守っていてあげて。

私がそのお姉さんだったらなんて声をかけるかな?
と考えて出てきたのが先の言葉

「よくあきらめなかったね」

「がんばったね」でもいいとは思ったものの、お母さんを頼らず一人でボタンを留め続ける姿はあきらめない気持ちだと感じたからです。

あきらめない姿は子供だけでなく、大人のあきらめない姿を見ても感動します。

その女の子がちゃんとコートを着れたタイミングでお母さんも下の子の支度と自分の身支度が整いました。

あきらめなければ必ずできるようになるよ!とこの子に見せてもらったように感じました。

コートを着る、ボタンを留める。
と言う目的があったからできたこと。

もしこの子が
コートを着せてもらう、ボタンを留めてもらう。と言う目的だったら、駄々をこね、泣き叫んでいたかもしれません。
お母さんの足にまとわりついていたかもしれません。

目的がちがえば行動が変わります。

行動に自覚も、意識がなくても、その行動には目的があってそう行動をします。

だとしたら、行動を起こす前に、どんな行動を起こしたいかを考える方が理に叶っているように思うのです。

回りに与える影響も違ってきます。
それは人生全体に対しても同じかな。
そこに人生計画を書く楽しさを感じるのです。

人生計画は何度でもいつでも取り組みたいものです。

今年もまもなく2月が終わり卒業式や入学式の季節になり、春の予感に気分も変わります。

冬に立てた計画はそのままに、春バージョンの人生計画を書いてみようと思っているのですが、せっかくなので、やりたい方がいるなら一緒にどうかな?

場所は宝塚にある素晴らしい空間のお店を予約しました。
スペースの関係で3名までOKです。
時間は13:30~16:00
料金は初回なのでチーズケーキセットも込みで3,000円
誰もこなくてもそのお店で人生計画のテコ入れをするつもりですが。

場所は申し込まれた方にお知らせします。
問い合わせフォームからお申し込みください。
先着3名です。

===今日の発見===
自分一人で取り組むのもいいけれども
誰かと書くもの発想が拡がるね。
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