人が人の話をどれだけ理解が出来ているのかは

伝えた人にはわからない。

でもそれが分かる方法をこの先生は知っていた。

私はそう感じるのです。

私の番がくる少し前、診察に随分時間のかかっていたお年寄りの方がいました。

多分常連の患者さんだったんだと思います。

その方はその先生の話を熱心に、メモを取りながら聞いていたのでしょう。

診察室から出てきて椅子に座ると鞄からノートを取り出し

一生懸命読み返しています。

そのお年寄りの方は先生の話を一心に一語も漏らさず聞かせて頂く。

そう言う姿勢で話されることを聞いていたんだと思います。

真面目にお話しされる内容に笑いの要素は少しも入っていませんでした。

その内容で「笑う」反応をしてしまったということは

「もう理解できません」「もうギブアップ」

と言う無意識からのサインだったのかもしれません。

(今から思うとですよ。)

その先生の徹底した患者さんへの寄り添う姿勢だったのではなかったか、

その姿勢に賛否両論あるとは思いますが

どんな患者さんに寄り添いたいか、

先生の中でそれが明確だったからこそ

その診察スタイルになったのではなかったのかな。

「診察だけしてくれたらいいねん」

そんな患者さんには向きませんが、

治療で成果を上げつつ、一生懸命伝えたいことがある。

そこを理解してくれる患者さんのために

診察の時間を徹底的に使われたんじゃないかな。

それも見事な時間の使い方。

その人の時間はその人のもの。ということです。

===今日の発見===
利己的に見える時間の使い方も
相手の身になって考えてみると見えるものがありますね。
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